入院生活

18日あたりから発症した病気のせいで、今日まで入院しておりました。生まれて初めての入院は、一週間ほどという長いのか短いのかよくわからない期間で終了しました。
以下、経過など。
18日に左目のあたりが腫れぼったくなってくる。氷で冷やすと、冷やしたところからさらに悪化していくような感覚になる。
19日、起きてみると左目が開かなくなって、顔中からリンパ液が出ている。体が熱くて関節が痛いような気もするが、体温計がなかったので実際の体温を知らずにいたのと、もともと高熱には強い体質らしく、あまり気にならずに生活。
20日、固まったリンパ液を取り除いてみるも、症状は改善せず。ばたばたしていて、いまだ医者にいけず。四谷怪談のお岩さんはこんな顔だったのだろう、と自分の顔を見ながら思う。今思うと、二日間もあんなひどい顔でよく学校に行けたものだと思う。
21日、近所の医者に診てもらう。いくつか薬などをもらう。実はこれが誤診。布団にはいるとうなされるくらいの熱になる。どうにもならないので寝ている。
22日、起きると親から電話。すでに近所まで来ているらしい。部屋には行って顔を見て絶句。そんなにひどかったか。昼に再度高熱。体温計を持ってきていたので計ってみると、39.4℃。自分でもそんなにあったのかと驚く。どうやら、38℃くらいが平熱と感じるくらいに慢性的に高熱になっていたらしい。実家近くで入院させようと親決断。ふらふらのなか、脇を抱えて連れて帰られる。帰宅後すぐに救急外来へ。某大学病院で診てもらったところ、入院の必要ありと判断される。しかし、その日はベッド数の関係で家に帰り、翌日入院ということになる。採血の際にやたらとへたくそな医者にあたってしまい、何度も採り直しになる。血管に針を刺したまま注射器をぶらぶら動かすなよ。熱でふらふらなのに踏んだり蹴ったり。
23日、朝から外来へ。診察室にはいると医者が開口一番「すごいなこりゃ」といい、写真を撮る。どうやらよほどすごいものだったらしい。すぐに入院の手続。血液検査やら尿検査、心電図などなどをこなす。眼鏡をかけられないほど腫れていたので、まったく周囲が見えず、偶然用事がなかった親が付き添ってくれていなかったらどうなっていたことやら。
入院生活はいたって簡単に開始。すでに昼食から用意されていたが、なんと手際の良いことだろう。とにかく点滴で治すということなので、最初の二日間は一日につき6つの点滴を行う。そのつどばたばたと看護士さんがやってくるので、結構あわただしい。顔はガーゼに目と鼻と口の穴を開けたものを包帯でぐるぐる巻きにされて装着。左目も眼帯をする羽目になる。左目の瞼が切れて、血がたれてくるせいで、時代劇によくある「目に血が入って見えなくなる」状態を経験。確かにこれは辛い。
24日からは入院生活にも大体慣れる。しかし、感染症のために個室の病室から出ることを許されず、じっとしているのは疲れる。目は相変わらず開かないので、テレビを見ることもできず、ぼやっとしたまま雑誌の写真などを眺める。
27日ころ、今まで顔を覆っていたリンパ液の固まった瘡蓋のようなものがぼろぼろと落ちる。今まではこれが落ちてもまたリンパ液がたれてきたが、今回は乾いてきれいになっている。看護士さんも担当の医者も驚くほどにきれいになる。左目も開いて、文字を楽に読めるようになる。ようやくお面ガーゼも必要なくなり、顔がさっぱりする。点滴は続けるものの、一応感染症の方は一段落した模様。そして、それと同時に体も含めた肌の治療を開始。
30日まで、朝夕の肌治療と一日三回の点滴をこなす。少し強めの薬とは言っていたが、効果覿面でとてもきれいになる。30日朝の治療の際に、唐突に明日退院と言われる。看護士さんも驚くほど突然な退院指示らしい。のほほんとした主治医の性格によるものか。
31日、朝の肌治療を終えてから荷物をまとめて退院。終わってみると長かったような短かったような。しかし、家に帰ってから診断書を書いてもらうのを忘れたことに気付く。急いで電話すると、「居る間だったらすぐに出したのに」と言われる。仕方がないので明日もらいに行くことにする。ついでに買い物もしてくるか。